「何でっ……私が、こんなっ……!」 ただ今誰がどう見ても廊下を爆走中である。 きっと今、私の表情は鬼気迫るものに違いない。 なぜこんなに必死に廊下を疾走しているのかと言えば、 「瑠奈殿! なぜ逃げるのだ、待ってくれ!」 私を後ろからものすごいスピードで追いかけてくるこの男が原因だ。 「誰が、待つもんかあああ!」 予想していた距離よりも近くから、ぶっちゃければすぐ後ろから声が聞こえた。 廊下を疾走していたのは私の頭の中のことで、実際には疾走と呼べるほどのスピードは出ていなかった模様。 私自身運動は好きだが、走るのだけは大嫌いなのだ。それを運動部の男子が追いかけてきている。 普通に考えて追いつかれないわけがなかった。 しかしだからといって諦めきれるものではないので、頑張って頑張って走り逃げる。 「瑠奈殿、本当に俺のことを忘れてしまったのか?」 「知らない!」 「俺が思い出させてやるゆえ、待たれよ!」 「阿呆だああ!」 止まったら止まったで、転入初日の熱い抱擁という名の地獄の責苦が待っているのだ。待てるか。 幸村の転入初日、廊下であの熱烈な再会を果たしたのち(私が逃亡したあと)、担任から告げられたのは 何故だ、という納得できない思いとやっぱりな、という諦めの混じった宣告だった。 「皆、喜べ。我のクラスに転入生だ。仲良くしろ」 豊臣先生、ここは”我”のクラスなんですか、そうですか。 彼が私の担任の豊臣秀吉先生だ。 彼が私の担任であるということでいつも三成に吠えられるのだ。いい迷惑だ。皆はこれを豊臣公害と呼ぶ。 「某は真田幸村! 剣道部に所属しているでござる! 宜しくお頼み申す!」 ぺこり、とお辞儀する幸村を見て、もう現実逃避はできなくなってしまった。 しかもなんだ、知らなかったぞ剣道部。私も剣道部だ、どうしよう。 なるべく目を合わせないよう前の席の人に背に隠れるようにして重なり、その人と同化しようと努める。 ちなみに前の人は慶次なので、隠れようとしなくてもその大きな体躯で隠してくれる。ナイス慶次。 するとくるっと慶次が振り向いた。おい、隠れ蓑が動いてどうする、戻れ! 「なんかあいつ、こっち見てるぜ。瑠奈ちゃん、あいつ知り合い?」 「そんな馬鹿な」 「いやいやいや。ほら、見てみ。やっぱりあいつ瑠奈ちゃんのこと凝視してるよ」 「馬鹿、ずれるな! 見つかるでしょ!」 「瑠奈殿! やはりそこにいたか!」 「ほらあ!」 慶次が体をずらして私に幸村を見せようとするもんだから、見たくもない目を向いた瞬間、 ばちりと音がするくらいに目が合ってしまった。 ずんずんとこちらに歩み寄ってくる幸村に対して、私は机と椅子に綺麗に収まっている。逃げ場などない。 顔を青ざめさせてそれを見ていると、再び豊臣先生の声がかかった。 「真田幸村、お主の席は向こうだ」 「しかし某、瑠奈殿の隣が良いでござる」 「あいておらぬのだ、分かれ」 「残念でござる……」 そう言うと幸村はこちらを惜しむように見ながら、言われた席についた。 マジナイス神ですありがとう豊臣先生!今なら三成が盲信する意味がわかるよ!今だけ! お約束というか、そんなものはないとばかりに席が隣になったり近くになることはなかった。 私の席は本当に真ん中で、幸村の席は左側の窓際の列の後ろ辺りで、それなりに距離がある。 やった、とるんるんで授業を受けていれば、じわじわと熱を孕んでいるかのように感じる視線。 嫌な予感しかしないが、勇気を振り絞って振り向いてみれば、やはり。幸村がこちらを見つめていた。 しかも目があった途端にとろけるように笑顔になって、幸せそうな顔でなおも見つめてくる。 授業聞かなくても良いくらいに頭が良いんですか。前見ろよ前えええ! 叫びたくとも今は授業中。叫べるはずもなくじりじりと視線に焼かれながらその時間を耐えた。 しかし就業をつげるベルが鳴るとともに、我慢の限界を超えていた私は挨拶もそこそこに教室から飛び出した。 そして今に至る。 どうしてこうなった、私は何も悪くないはずだ。 ちらりと後ろを見ると、幸村の姿はない。撒いたか、その辺で転んだのだろう。心配の余地もない。 安心して前にある壁に手をつき、ふうと息をはいて違和感。 ここはまだ長く続く廊下なのになぜ壁?そしてどうして壁が柔らかく温かい? どうして私は抱きしめられている? 「ちょ、お前……何があったあああ!」 「回り道をしたのだ。待っていた」 「待つなあああ! 離せえええ!」 抵抗を試みてはみるが、走りつかれてぐったり来ているところなので大したことはできない。 しかもなんだか目眩も吐き気もする。走り過ぎだ。 そんな感じでぐったりしている私を、幸村はひょいと抱き上げ、そのまま来た道を戻り始めた。 「ちょっと、どこに行ってんの」 「保健室だ。具合が良くないのだろう、そんなにぐったりとして」 「待て待て待て、教室で休めばすぐ良くなるから!」 「では教室に向かうか」 「自分で歩けるってば!」 「瑠奈殿、きちんと食べているか? 軽いぞ」 「食べてるからああ! いい加減降ろせえええ!」 じたばた暴れるも、そのまま教室まで運ばれてしまった。 その間にどれだけの人が、暴れる私を軽くなだめながら運ぶ幸村の姿を目撃していたかを思うと、頭が痛い。 ← → |