06




殿!」


たたたたっと駆け寄って来て、私の前直前になって腕を広げるも、ハッと何かに気づいたように急停止
して気をつけの姿勢になる。
ぎゅっと両手の拳を握って、その手を開いて己の手のひらを見つめ、何事か頷いてからこちらを見る。


「殿、今日この後暇か?」

「へ? ああ、ん。まあ」


幸村はあれから私に抱きつくことはなく、そう言ったそぶりを見せても自分でさっきのように気付いて
止めてくれるようになった。どうやら私が死にそうなのが伝わったらしい。良いことだ。

しかし、幸村は私を好いているのだと公言してから、よく私の周りに纏わりついてくる。
嬉しそうに寄って来ては、「次は体育だ。更衣室までは共に行こう!」だとか、「移動教室だ、俺が
殿の分の荷物も持っていこう!」やら、「部活だ、早く行こう!」や、「共に帰ろう!」とのたまっ
ては、するりと私の隣に立っている。お、恐ろしや。
流石に自分の荷物は自分で持つし、帰りもなんとか一人で帰っているのだが、なかなかどうして諦めない。

本当に何度も思うことだが、幸村ほどの容姿なら私に構わずとも選り取り見取りではないか。
こうも好意を向けられて不快に思うことはないが、よくもまあ飽きないものだと思う。
だってそうだろう。真っ直ぐに好意を向けている相手にこうも流されていれば、気分がいいはずが無い。


「良かった、ならば帰りにケーキ屋へ行かぬか? 俺一人ではどうも、入りがたく……」


顔を赤らめながら照れたように下を向いて頬をかく幸村は、お世辞抜きで格好良く、また男子特有の
可愛らしさもある。もしかすれば女の子より可愛いかもしれない。

だというのに、なんでまた好きになるのが私なのか。特に可愛いというわけでもなく、不細工という
わけでもない極々標準な人間だと思うのだけど。

最近の幸村は私に対して好意は向けるが、暴走はしなくなってきていたのでケーキ屋に一緒に行くくらいは
いいか、と了承する。若干、その行為を無碍にしているという罪悪感も無きにしも非ず。

いいよ、と答えた瞬間の幸村は一瞬肯定してもらえたのが分からなかったようで、もう一度少し大きめの
声でいいろ、と言うと目を見開いてきらきらと輝かせながら頬を紅潮させ、筆舌尽くしがたいほどに喜んでいた。





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「ど、どうだろうか」

「ん。美味しいよ? ……幸村はなんでそんなに緊張してんの」

「い、いや……」


幸村が来たがっていたはずのケーキ屋さんで、私は四つのケーキを選び取り、幸村も同じものを取っていたはずだが、
私が食べ進むにつれて彼は輪にかけて緊張し、一向にケーキに手をつけない。


「もったいないよ、ここのケーキ美味しいのに」

「……! そ、そうか」


幸村はなぜかホッとしたような表情をしてやっとケーキの一つに手を伸ばし始めた。
ぱくりと食べて目元を緩ませるから、相当甘い物が好きなのだろうと見ていたのだが、気付かれたらしい。照れたようだ。


「あ、う。お、俺は男児ながら甘味を好む性質ゆえ……気持ち悪い、か?」

「へ?」


表情豊かな彼は食べる手を止めてこちらを見つめ、呆気にとられて答えられずにいる私を見てだんだんと顔色を悪く
していく。……器用だな。


「別に? 気持ち悪くなんてないよ。好みは人それぞれでしょ。私だって甘いもの好きだし」

「そう、か……?」

「そうだよ。何、人に何か言われたの?」

「いや……しかし、悪印象でなく良かった」


好む好まないは人それぞれ。今の食が飽和している時代、誰が何を好もうがそれは勝手だ。
というか幸村のその概念はいつの時代のものですか。
そう思ってその通りに答えると、暗かった顔を一転、ぱあっと弾けるように笑顔になった。早いな。

このように好意を滲ませた言葉を惜しみなく投げかけてくるから、慣れていない私は困るのだ。
”貴方に悪印象でなくて良かった”と言うことは、裏を返せば”貴方に悪印象を持たれたくない”と言うことなのだ。
ということは、そういうことだ。好印象を持たれたい、と。

そこで落ち着くためにケーキと一緒に頼んでおいた紅茶をこくりと飲む。ベルガモットの芳香が強いこの紅茶はアール
グレイで、紅茶好きの私に嬉しいことにこのお店はお菓子に合わせた紅茶が一通り揃っていた。自分で選ぶこともできるが、
詳しくない人は店員さんのおすすめなどに任せることもできるのだ。
「紅茶も美味しいな」というと、「殿は紅茶にも通じているのか!」と感心されるが、そこまででもない。個人で楽しむ、
もしくは嗜む程度だ。

嬉々として食べ始めた幸村と一緒に私が苺タルトを食べたとき、ふむ? と声には出さなかったものの、首をかしげてしまった。
そのことに目ざとく気が付いた幸村は「如何した?」と聞いてきてくれる。


「ん、いや。このタルトね、なんていうか、こう……もうちょっと酸味があると思ってたの」

「なるほど。それでは甘すぎる、と?」

「まあ。私の好みなんだけどね」


ただ、食べる前のイメージと食べた後の味が一致しなかっただけの違和感だ。大したことではない。
それに美味しいのに変わりないし、と食べ続ける私を見て、幸村はとても嬉しそうだった。

食べ終わった後「もう日が暮れ始めている」とか何とか言い連ねた幸村に家まで送られてしまった。
意外と食べ物の趣味が合うということが発覚し、盛り上がる帰り道が、思っていたよりも楽しかった。

家に帰り着くのが惜しいと思ってしまうくらいには。