バレンタインデー限定拍手:元就
「いらぬわ」 冷たい声が聞こえた。 バレンタインの熱が収まるどころか高まっているのではと思える昼休み。それは事実で、現に教室では積極的に チョコを配る女子と、それを照れながら受け取る男子でいっぱいだ。 ……何事にも例外はあり、貰えない者も若干いるのだが。 それによって騒がしかった教室から一歩でも出ると一変して廊下は静かなものだった。 そこを図書室に向かって私は歩いていた。課題で使った本を五冊ほど返しに行くためだ。 ……借り過ぎだとか言ってはいけない。このくらい借りなければ手が出せなかったのだ、仕方がない。 そんな感じで別の空間に来てしまったかの如く静まり返った渡り廊下を通って、私は順調に図書室に到着した。 私はいつも連れ立って行動しなければ寂しい! というような性格ではなかったので、友人に「ちょっと図書室 まで行ってくるよ」「よし、じゃあこの本も返しといて」と二つ返事(?)でパシられつつ、何事もなく見送られた ため、今はもちろん一人だ。ちなみに手の中の本は八冊に増えている。 手を痺れさせつつも何とか本棚へと寄って行って、さて本を返すか、というときに聞こえてきたのが、冒頭の声だ。 「(あー。元就だよね、今の声は。てことはこんなとこでチョコ渡しを決行した女子がいたのか……)」 ここからでは見えないが、確かに人の気配はする。というか棚二つ隔てた向こうにいる。 本を返しに来ただけで、本当に純粋にやましいことなど一つもないのに、なんだか物音をたてることが憚られて、 自然と手が止まる。 「(ていうか、図書室って飲食持ち込み禁止でしょ……?)」 「なんで? 受け取るくらいしてくれたっていいじゃない、甘いものだって嫌いじゃないって……」 「その情報自体、どこから入手したのか気になるところだが……大方長曾我部のうつけあたりからであろうな。 まず、貴様自身に情報を提供していないことから察せ。我は貴様からの菓子など期待しておらぬわ」 「……っ! ひ、酷い! そんなふうに言わなくても、」 「くどい。まずこの図書室は飲食厳禁。そこに菓子を持ち込んだ時点で貴様に毛ほどの可能性もない。そして 騒ぐでない、鬱陶しい。去れ」 なんだかいつにも増して口が悪いぞ元就。いつもならもうちょっとはソフトな言い回しをしている……気がしなくもない。 しかしいつもと大きく違っているのは声の質だ。普段の気だるげな、ちょっと上から目線な。そんな声音ではない。 私の聞いたことのない、冷たく言葉の端々に棘を感じる話し声。元親に対する時だってここまで凍える声ではない。 あまりそういう厳しさに免疫がないのか(あったらあったで驚きだが)、相手の女子は泣き出してしまったらしい。 私は「今ので泣いちゃうのか!?」というところに驚き、うっかり本を戻し損ねて取り落とした。 その音でハッと正気に返ったのか、女子のすすり泣きの声が止み、図書室を駆け去って行った。 彼女が去っていく際、本を落とした時の姿勢のまま固まっていた私をキッと睨みつつ駆けて行った。 ちなみに、図書室では走ってはいけない。 「そなたか。盗み見とは悪趣味な」 「ひう!」 女子が泣きながら走り去って行ったのとは逆の通路からやってきたのだろう元就が耳元で囁く。 足音もなく静かに移動してこられたのでとても驚いた。そして手に持った七冊はあっけなく全て床に落ちた。 ……足音くらい立てろよ、忍かよ! 振り返ろうとすると首筋を指ですすすっと撫でられた。ぞわりと背が粟立つ。 「――やあっめて!」 「……ふん。堪え性のない」 意外とあっさり手を離した元就は、しばらくしてもう一度ふん、と息をついた。 眉間のしわがほぐれたところを見るに、いらついていたらしい。 「そなたは騒がぬのか」 「? ……ああ、バレンタイン? んー…そうだね、渡したい人もいなくなっちゃったし」 「……」 本当は目の前の男に渡したかったのだが、本人いわく「いらぬ」そうなので急遽変更だ。 教室に帰れば、甘いもの好きの幸村あたりが貰ってくれるはず。そうだ、幸村に渡そう。 私の決意もよそに、元就は再び不機嫌になってしまったらしい。相変わらずいったいどこに沸点がある のか分からない人だ。一体何に引っかかったのか。 むっつりと黙りこんで私をじっとりと見下ろす。悔しいが態度ではなく身長差でそうなっている。 「貴様に懸想人がいたとはな……愁傷なことぞ」 「け、けそうびと? 愁傷ってどういう意味で言ったよ、今!?」 「………………貰って、やらんこともない。と」 「は?」 何か脈絡のないことをぼそりと言われた気がして聞き返すと、思いっきり顔をしかめられた。 しかめた顔が赤らんでるのはどういう意味でなのか。 「だから、そなたのチョコを我が貰い受けてやると言ったのだ、聞き返す出ないわ!」 「は、はい!」 元就の剣幕におされてつい返事をしてしまったが、なんだかとんでもないことに承諾してしまったような気が。 しかし、なぜか満足そうな表情になった元就を見ているとなんだかとても些細なことのように思えた。 「あ、でも」 「なんぞ」 「図書室では騒いじゃいけませんね」