06





が意識を取り戻してから三日。松寿丸に拾われてから六日目の明け方、はそっと目を開いた。
視界は特に変わりないが、体中が火照り、発達した犬歯が疼く感覚で自分の瞳が血の色に染まっていることを悟った。
松寿丸には既に縦割れの瞳孔がばれてしまっているものの、まだ赤い瞳までは知られていない。どうにか今日一日をやり過ごし、
この目の色だけはどうしても見せたくなかった。

赤い瞳は日中であろうと夜間であろうと関係なく人の目を引いた。元々気味悪がられていたが、満月の夜に血を求めてぎらつく
血色の瞳に、周りの者はおろか両親やお付きの侍女、唯一彼女を遠ざけないでくれていた乳母までもが彼女と目を合わせては
ヒッと声を上げたのだった。それが幼い彼女に大きな傷をつけた。

どうしたってきっと、この目を見てしまえば人は自分から離れて行ってしまう。彼女はそう思って疑っていない。
……今日は一日、目を閉じて過ごそう。そう決めたとき、入りますよという女性の声が聞こえた。杉大方だ。


「まだ寝ているのですか、もう起きて下さいな。朝餉の準備が整っていますよ」

「わかりました」


は目を閉じたまま立ち上がり、ふらつくこともなく杉大方の元までいくと、杉大方が広げる着物に見ることもなく袖を通した。


「……まだ眠いのですか?」

「いえ。ただちょっとめがしみるのです」

「まあ、大変。少し見せてみなさいな」

「だいじょうぶです、ときどきこうなるのです。いちにちめをとじていればなおります」


訝しげな表情を浮かべた杉大方であったが、目を閉じているにはもちろんわからないことであった。

まず、具合が悪いのだと仮病を使えばそのまま一日ほぼ誰に会うこともなく寝ていられるのだから、そう言えばいいのだが、
彼女にはその答えは思い浮かびもしなかった。
……家では、具合が悪かろうとどうであろうと彼女に近づく者がおらず、乳母がつきっきりであったために彼女には、
なんと言えば自分のところに人が寄って来るのか、来なくなるのか、わかっていなかった。





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「なんだ、そなたまだねむいのか」

「いえ。ただちょっとめがしみるだけです」

「なに……? ……けいごはやめよというに」


朝餉を松寿丸と摂っていると、ずっと目を閉じているに疑問を抱いたのだろう松寿丸が杉大方と同じ質問をした。
それに全く同じ受け答えをしたは、器用にも目を閉じたまま溢すこともなく朝餉を順調に食べ進んでいる。


「だいじょうぶ、なのか」

「ん。へいき」

「ならよい。しかし、なにもみずによくたべられるな」

「……? なんとなく?」


松寿丸は食べ終わったのか、かちゃりと箸を置く音が向かいから聞こえた。そして人の気配が隣からする。
……もちろんご飯を持ってくれたりする侍女さんではない。次女はもっと離れたところで待機しているはずだ。

つらつらとそんなことを考えていると、手に持っていた箸をすっと取り上げられた。


「しょうじゅまるさま?」

「そのままでよい。めがつかえぬのだろう、われがたべさせてやる」


そう言うや、松寿丸はの手から持っていた茶碗も取り上げてしまった。
そしての前にあった膳さえも横にずらしてどけて、彼女の前に向かい合うように座ったのが気配でわかった。
そのままの位置で松寿丸が何かを挟んでいるだろう箸を口元に持って来たらしい。食べ物の匂いが近い。
仕方なく口をあけてみると箸が差し入れられ、舌の上に何かを置かれた。どうやらご飯らしい。しっかりと咀嚼
してから飲み込み、言った。


「ひとりでもたべられるよ」

「よい。われがするといったであろう」

「でも……」

「しょくじちゅうぞ、しずかにせよ」


その言葉でを黙らせた後、膳の上の食べ物が綺麗に無くなるまでそれは続けられた。

その一部始終を見ていた杉大方は微笑えんで静かにそれを見ながら、松寿丸様はどうやら兄になった心地で、
年下である彼女の面倒をみようとしているのだろう、と松寿丸の心境を推測しながら一緒に食事を終わらせた。


「して、その目を見せよ」


がしりと音がしそうなくらいしっかりと顔を掴まれた。……なんだか既視感。
そのまま何も言わずふるふると顔を横に振るも、その手を離してはくれない。しかしの方も目を開く気はない。
その状態のまましばらくじっとしていると、親指の腹で優しく閉じている目の周りをさすさすと撫でられる感覚がし、
それと同時に溜め息をつくのが聞こえた。やっと諦めてくれたらしい。顔から手が離れていくのを感じた。

ほっ、と息をつくのも束の間。次に感じたのは、嫌に近い松寿丸の気配と目の下、頬の上あたりにあたる柔らかな
感触とちゅっという離れていく音だった。


「!!?」

「やっとひらい、たか……」


驚きすぎて声も出せないは、自分がどういう状態で目を閉じていたのかも忘れ、大きく目を見開いた。
……その大きく零れそうな血色の瞳に猫のような縦割れの瞳孔を見せて。


「なんと……」


驚いているのはばかりでなく、とんでもない手での目を開けさせた松寿丸もまた彼女の目を見て大層驚いていた。
そして同じくそれを見ていた杉大方も言葉を失う程に驚いていた。
いち早くそのことに気が付いたは、視線を畳に移した。今さら瞼を閉じようとも、もう遅いことはわかっていた。

きっと気持ち悪がられてしまう。きっと自分から離れて行ってしまう。きっと私はまた捨てられてしまう。
この後の最悪な道筋を想像して顔を青くしているの視線は未だ畳に向かっている。

くいっと掴まれたままだった顔を上げさせられ、見たくはなかったが自然と目の前の松寿丸と目が合う。


「そなたのめには、にちりんがやどっておるのか……」

「……?」


なぜか嫌悪や畏怖の情を欠片も映していなかった松寿丸に、の理解は追いつかず思考は凍った。
その間も松寿丸はの目を見つめることを止めない。


「まこと、ねこのようよ……そなたほどにちりんにあいされたねこはおらぬ……」


いつの間にやらは猫ということにされてしまっていたが、それを否定するはずのは理解の外で固まっている。


「そなたのめは、うつくしい」


しかし、今の松寿丸の言葉でハッと我に返った。今、彼はなんと言った。私のこの目を見て。家臣や侍女たちに、ましてや
彼女と血のつながった両親にさえ疎まれ忌み嫌われた原因とも言うべき、この目を見て。


「き……きもちわるくない、の?」

「なんどもいわせるでない。そなたのどこがきもちわるいという」


そう言ってうっとりとの目を見つめる松寿丸の目は、まるで日輪を仰ぎ見る時の彼の目に似ていた。
その言葉に嘘も偽りも感じなかったは、今まで積み上げられてきた全てが崩れ去った気がした。涙がにじむ。
ぽろぽろと涙を零しながら声を上げて泣き出したに、松寿丸は自分が何か言ってはいけないことを言ったのかと焦った。
目の前にあった松寿丸の着物をわし掴みながら、顔をつけてしまわないように少し離れて頭を下げて泣いた。恐らく自分の涙で
松寿丸の着物を汚さないように遠慮して泣いているようだ。
松寿丸はふう、と息をついて目の前にあるの頭を抱き寄せた。



杉大方は危ぶんでいた。松寿丸様はきっと心から思ったことを口にしただけだ。その言葉が様を解きほぐした。ここまでは
何ら問題はない。問題が無いどころか、様にとっては恐らく初めて理解者を得たのだろう。そこはいいことだ。
松寿丸様に関してもそうだ。私でさえ人からかけ離れたあの瞳に恐れを抱いたというのに、その瞳を見つめて美しいと。

未だ泣きながら松寿丸様に縋り、抱き込まれた様を見る。あんなにも幼い子が、今の今まで一人だったのだ。
しかし恐らく様のことは露見する。そうなればその後どうなるのか、いくつか先は推測できる。

の目を見た瞬間、ひいっ、と小さな悲鳴を上げた侍女二人を見る。私の方から緘口令を言い渡してはみるが、上手くはいか
ないだろう。人の口に戸は立てられないものだ。ましてや毛利家から見放されている次男坊の乳母の言うことだ。大した強制力は
期待できない。




「悪い方へ向かなければいいのですけれど……」


杉大方の呟きは誰に聞かれることもなく空気に溶け消えた。