私が松寿丸さまに拾われてから四日目になる。……らしい。 自身は三日間寝ていたので一日目としか感じられないが、どうやら三日はお世話になったらしい。 「、おきられるのだろう。われのへやへこい」 「……わかった」 今日は一日部屋の掃除をして過ごそう、と決めた途端にこれだ。もしや松寿丸さま、読心の心得でもあるのでは。 せっかく与えてもらった部屋だ。綺麗にしておこうと思ったのだが、それが姫の地位を持つ者が考える事柄 ではないことにもちろんは気付いてもいない。 そんな感じで不服さ丸出しのが返事をして出て行こうとすると、後ろでの世話(主に着付け)をしていた 杉大方に面白そうに声を上げて笑われた。……何か釈然としない。 ので、じろりと睨むと「早くお行きなさいな」と急かされてしまう始末だ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「くちにあわぬのか」 「そんなことない。おいしい」 「……そのようなかおをしておらぬ」 呼ばれて行ってみれば、どうやら稽古や手習いまで時間を持て余した松寿丸が、ともに朝の月見をしたいとのこと。 ……正確には日輪見だそうだが、しっくりこないので勝手に朝にうっすら残っている残月見ということにして無理矢理 納得している。そこで出された簡易な茶菓子を今まで食べていたわけだが、どうやら人に指摘されるほどにしかめっ面 をしていたようだ。松寿丸の顔も不服そうにしかめられている。確かに同伴者にしかめっ面されながらのお月見は楽しいもの ではないだろう。 出された茶菓子は流石毛利家と言えるほどのもので美味しかったので、そこでしかめっ面をしているわけではない。 さらに、松寿丸にくだらない用で呼び出され、予定を狂わされたのにはむくれたが引きずるほどでもない。第一、 拾ってきてもらった命の恩人にそこまで横柄になれるほど面の皮は厚くないつもりだ。 理由はちゃんと他にあり、その原因はまさに今眺めている月にあった。 「…………ならば、われといるのがいやなのか」 「、そういうわけじゃない、けど」 「……」 松寿丸はの方を見ずに押し黙った。 きっと今のの言葉を信じていない。信じていないまではいかなくとも、疑っている。 しかし理由を正直に話すにはの心はまだ強くなかったし、松寿丸を信頼するにも彼と過ごした時間はあまりに 短すぎた。 そのため、には松寿丸が今どういった心境なのか分かっても、それをどうにかする言葉を見つけることは出来 なかったし、松寿丸の方はの真意を推し量ることさえできないでいた。 キッとまるで空にしがみつくようにうっすらと残る月をねめつける。 その形はもうすぐ満ちようとしている。きっと、明日、明後日には満月になるだろう。 そうすれば自分は人の血を欲し、今は黒い瞳が真っ赤な鮮血のような色に染まり、黒い瞳孔は必ず異常な縦割れを 赤色の中に浮き立たせるように目立ってしまうに違いないのだ。 ……そしてきっと、その時が彼らとの別れの時だ。 「しょうじゅまるさまにはかんしゃ、してる。し、きらいなんかじゃない」 ぱくりと一口茶菓子を口に含む。甘い味もわかるし、それがいかに上品で良いものかもわかる。 しかしどうしてもには砂を噛んでいるようにしか感じられなかった。 ……ひとえにそれは吸血不足であった。城にいた時はもう亡くなってしまった――殺されてしまったと言う べきか――乳母が密かに分け与えてくれたが、それももう何年前のことか。ここ数年は中型動物の血液で なんとかしのいでいる状態だった。それも一月前の話だが。 「ならば。われのめをみて、いうてみよ」 ぐりんっと勢いよく頬を掴まれて振り向かされ、互いの鼻までの距離があとほんのわずかまで引き寄せられた。 未だ真剣を持つことはなく豆の少ない手は子供特有の柔らかさを持っていた。 事情を知らない者が見たならば、ませた子供がじゃれあって大人の睦み合いの真似事でもしようとしているのか、 などと、不埒なことを考えたかもしれないが、周囲には杉大方しかおらず、見ているのも彼女しかいなかった。 そして彼女は事情をきちんと把握して、そのうえで傍観しなお且つそれを楽しんでいる。 「。われのことがきらいではない……いや。すきか」 「すき、です。きらいになるりゆうがないですし」 「けいごをなおせというに……まあいい」 は敬語を直すことについて特に頑張ろうとは思っていなかったので、つい今のように出してしまうことが あったが、そこはまあしょうがないと思っている。勝手に。 そして何がどう「まあいい」のか、非常に気になるところであったが、は賢明にも追及はしないでおいた。 ……長くなりそうな予感がしたのだ。そしてその勘は大体当たるのである。 松寿丸は松寿丸で、まあいいと言っておきながら掴んでいるその手を離そうとはしなかった。 しかも力強く掴まれたまま、至近距離からじっと見詰まられているわけだ。居心地が良いわけがない。 いい加減離してよ、と抗議しようと思っていたら、その前に松寿丸が口を開いた。 「そなたのめは、ねこのようぞ」 の瞳を覗き込んだまま、松寿丸がそう呟いた。 一瞬何のことかわからなくなり、すぐに思い至った。自分の目のことだ。しかも特徴的な瞳孔の。 自分にとっては嫌な思い入れしかないもので、取れるものなら抉ってでも取ってしまいたいとさえ思っている それを見て平気でいられることが、には不思議でならなかった。 家臣に気持ち悪がられ、父に疎まれ、母に化け物と言われ、兄弟には会わせてもらってすらいない。唯一、亡き 乳母のみがそれも含めてを丸ごと受け止めてくれていた。 人に避けられてきたこと全て、自分の体質とこの目のせいだと考えてきた、にとっては。 「そうだな……くろいねこ……。ふむ。そなた、くろねこのようぞ!」 「くろねこ……」 ぴったりだ、とでも言うように当てはまる言葉を見つけて喜び、さらにじっと瞳を見つめる。 不吉だと云われる生き物に例えられたことよりも、気持ち悪いはずの瞳を見つめられ続けることの方が には耐えられないことだった。 「み、みないで」 「む。めをとじるな! みえぬであろう!」 「や、だからみないで」 「みせよ! そなた、どくせんなどゆるさぬ」 その後、一刻もの間その攻防は続き、稽古の時間だと呼びに来るものがやってくるまで拮抗し、「ちっ。 つぎはみておれ……」という松寿丸の呟きで終戦した。 杉大方は腹が捩れるほど笑いながら、「独占っ……独占も何も、その目は様のものでしょう……!」という 呟きと共にそれを陰から見ていたそうな。 後に分かることだが、松寿丸は純粋に褒める手段として”黒猫”という言葉を用い、それに含まれた意味を 知ってから後悔し羞恥したという。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 一刻=現在の30分だそうな。 |