松寿丸様が少女を拾って来てから、三日が過ぎた。 あの後、少女を匿うことにしたは良いもののどう匿うかに悩んだ。 今、毛利家は二つに割れている状態だ。一方は松寿丸の兄上の息子である幸千代丸様。一方は松寿丸様。 しかし割れているとは言葉ばかりで、その大半が幸千代丸様に与している状態だ。 それもそれはず、今毛利家の家督は若干十六歳である幸千代丸様が継いでいるのだから。 兄上様の家督相続後、松寿丸様はお父上である弘元様に連れられ、郡山城に移ってきたのだ。 弘元様の側室であり乳母である私もそれについて行って、今に至る。 そんな経緯を経て、郡山城で暮らすこととなったのだが、ここでの扱いがまた酷かった。 室に入っている私はともかく、松寿丸様への無礼がほとほと目に余る。 城での対応は、まがりなりにも毛利家の血を引く次男坊である松寿丸様にするような態度ではなかった。 ……そのおかげか、松寿丸様の自室付近には必要最低限以外で人の出入りが無く、結果的には助かっているのだが。 少女の世話を他の誰かに頼めるはずもなく、杉大方が引き受けることとなったのだが、実はそう嫌でもない。 弘元様と私の間には残念ながら子に恵まれず、早くにお亡くなりになられた幸千代丸様の母君の後釜で継室となり、 松寿丸様の乳母をしているが、そのおかげで女子の世話を経験する機会が全くと言っていいほどになかった。 なので、これをいい機会に女子の世話というものを堪能しようと密かに考えていたのだ。 彼女の世話をし始めて三日たったわけだが、彼女の傷は何度見ても痛々しかった。 どう見ても躾と言える段階は通り過ぎていたし、しかしこの年齢の少女が間者で、拷問を受けていたとも考えにく い。第一にまず拷問していた弱った少女を殺しもせずに逃がすことなど、それこそあり得ない。 しかし彼女の体に残った傷跡は、どう見ても拷問そのもの。胸の烙印は犯罪者に押されるものに似てはいたがまた 別物であったし、この年の少女が犯す罪で、ここまで重い罰を受けなければならないようなことなど思いつかなか った。 「ふ…っぐう!?」 さて、と息をついて部屋へ向かおうと角をまがった時、ドタンッという大きな音と、松寿丸様の苦しそうなくぐ もった声が聞こえてきた。 「……だれ? ここはどこ? わたしになにをした?」 何事です、と駆け入ろうとしたとき、中から聞き覚えのない幼子の声が聞こえた。恐らくはあの少女のもの。 あれだけの怪我をしていたのだけら、そうそう動けはしないだろうと思っていたが、間違いだったらしい。 慌てて長い廊下を走り、部屋の近くまで来た時には既にことは収束していたらしい。 耳を澄ませて中の様子を聞くと、どうやら少女は何やら勘違いして松寿丸様に飛びかかったらしい。 如何なことかと思うが、本人が許すと言っているのだからまあいいのだろう。 会話中に少女の口を衝いて出た”ころさないの”の言葉が、嫌に耳に残った。 きっと、その言葉を出すに至った経緯が、体についたあの傷なのだろうと直感的に理解してしまったのかもしれない。 「……、ともうします」 。その名を聞いて気が付いた。この子はあの家の姫であると。 今まさに毛利家の頭を悩ませる問題の一つである。小さい家ながら、武力は十分で戦ではなかなか倒れない。 どうしてか体の丈夫な者が生まれやすい血筋で、生まれる男児は体躯が大きく力も強い。姫は姫でなかなか 美人が多いとか。 たしか数年前に生まれた姫にその名を持つ者がいると聞いたことがる。 そんな家が、この頃毛利家への反逆を企てているという噂がたった。今のところ動きはないようだが、それも いつまで続くのかはわからない。 もし家が本格的に毛利家に背こうとしているのなら。彼女がここにいることは家にとっては大変良くない ことのはず。……たとえ背いたとして、毛利家にはさしたる壁でもないが。 しかしいくら壁にならないとはいえ、いくらかの障害にはなりえるのだから、問題になっているのだ。 「……その動物らはみな、そなたがかっておるのか」 「いいえ、そんなまさか。しょたいめんにございます」 「…………そうか」 ……松寿丸様。何故その質問をこの瞬間になさいました。今でなくとも良かったのでは。 そして様。初対面とはなんです。動物と会ってどの個体なのか区別が付くのですか、あなたは。 一人部屋の近くで真剣に両家の行き先を思案していた杉大方は、この会話を聞いてずっこけそうになった。 ふざけているならまだしも、二人は二人で共に真剣だったのだから可笑しい。 松寿丸様の声からなんとなく、場の空気の重さに耐えかねた感は窺えたが、何もそんな内容の質問でなくとも。 あまり人と接することのない松寿丸様だからこそ、どういった会話をすればいいのか皆目見当がつかないのもわかり はするのだが。これはあまりにも唐突過ぎだ。 するとしばらくの沈黙の後、松寿丸様が口火を切った。要約すると「借りを返せ」と言うことらしい。 ……杉大方の胸に何かあまり良くない予感が兆す。 「われにせっするさいの、すべてのけいいをなくせ」 「はい。……はい?」 「よいな。われをうやまうな。たいとうにかいわせよ」 「……は? いえ、あの」 「われにひろわれたかりを、わすれるでないぞ」 「……!」 なんということはなかった。ただ松寿丸様は自分に近しく且つ親しい者が欲しかっただけだったようだ。 今まで親しい者と言えば、母や兄、そして養母である私くらいのものであろう。それも、母君は若くして お亡くなりになられ、兄も早くに家督を継ぎそう簡単に会うこともできなければ、易く話せる相手でもな くなってしまった。そして私は当然ながら身分に差のある者であり、彼の望む敬意を無くすようなことは 出来ることではなかった。 少女は当然驚き、息をのむ声までこちらに届いた。まだ見たことはないがきっと目を大きく見開いていることだろう。 「そなたのひとみは、まことめんようよ」 畳を移動する音、衣擦れの音がした後に松寿丸様の声が聞こえた。 どうやら少女の目に興味を抱いた様子で、声に驚きと少しの好奇心が乗せられていた。 きっと近寄るか何かして少女の瞳を覗き込んでいるのだろう。 「…………きもち、わるいだけです。いえ、だけ」 「きもちわるい? どこもきもちわるくなどない。さきほどはこんじきにみえたが、」 「ふつうじゃないから、きもちわるい、の。そうおしえられてきた、から」 金色? とふと首をひねったが、きっと太陽の光で照らされていたのを見たのだろう。よくあることだ。 しかし、一体何がどう一般と違うのか。それがどうして気持ち悪いのか。 もしかすると、奥州領主の息子に罹ったという件の病だろうか。あの高熱にさらされた子はことごとく死に、 稀に生きながらえたとして、かの息子のように目を膿んで失くすという。 しかし松寿丸様の口ぶりからするとどうもそういった様子ではないようで、聞いている分には様は頑なに自らを ”気持ち悪い”と言い、それを見ている松寿丸様は”面妖”とは形容しても、その言葉の中に少女の言うような感情 は一切見えてこない。 恐らくは、彼女が言うようにそう言う風に教育されてきたためにそう思い込んでいるだけなのだろうが、それだけに しては些か少女の否定が大きい。そしてそういう教育をする意図も全く分からない。 「こんじきとは、にちりんのいろ! にちりんのどこがきもちわるいともうす!」 様が頑なに松寿丸様の言葉を否定し続けた結果、松寿丸様も我慢の限界に達したご様子で珍しく肩を怒らせて 少女に言い返していた。 常ならば年に不釣合いなほど冷静で賢く鋭い子であるが、どうやら同い年の子が相手ともなると感情の制御がいつも ほどうまくはいかないようだ。本当に珍しいところを見たものだと感慨深く思っていると、今度は少女が言い返した。 「にちりんなんて、ちがう。わたしはよるにいきるもの。つきなの。にちりんとははんたいなの……!」 少女は少女でなぜか必死に言い返している様子だ。こちらにしてみれば、月か太陽かなんて別にどうでもいいのだけ れど、本人たちには超重要事項であるらしい。めったに聞くことのできない松寿丸様の荒げた声と、様のなぜか 泣きそうに必死な声とが部屋の中でぶつかっている。 もう少し双方大人であれば、静かな解決と言うのもできたのかもしれないが、今はひたすらどちらも拙い。 しかし、それでこそ子というもの。大きくなってからではなかなかこうした感情的なぶつかり合いはできないのだか ら、出来る今のうちにやらせておこうと、杉大方は部屋からほど近い柱に背を預け、しばらくの間ことの収束を待つ 態勢に入ったのだった。 ……しかし後に分かることながら、松寿丸との縁は続き、しかも彼らは成長しようと関係なく(二人にしては) 感情的にぶつかり合える仲となるのだが、今それを知るものはその場にはいなかった。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 色々つっこみどころはあります。 まず幸千代丸が家督を継いだのは6〜7歳(!)。 しかも松寿丸が移り住んだ城はやっぱりあの多治比猿掛城! そして元就さまの日輪信仰が始まったのは乞食若殿と呼ばれている時期から! ……なにより、設定とか色々創作しまくり! すみません。授業中に設定作ってたら、Wikipediaと照らし合わせたとき色々誤差が生じました。 2012.2.28修正 |