03






それからは三日と目を覚まさず、寝返りさえせず見動きという身動きもなく眠っていた。
彼女が寝かされている部屋は松寿丸の私室の近くで、図らずもそこは人があまり通らない場所であった。
……このあたり、今の毛利家での松寿丸の立ち位置が分かるといものである。
人の来ない奥まった所にある部屋ではあるが、日の光は分け隔てなくその部屋にも降り注ぎ、眠る
彼女を照らしていた。

この部屋を訪れるのはの世話全般を受け持つこととなった杉大方と、の様子が気になって
仕様が無く、終始そわそわしている松寿丸の二人だけであった。
杉大方は仕事が増えたにもかかわらず、嫌な顔一つせずそれをこなしていった。
実のところ、杉大方は姫の世話をする機会があまりなく、この機会にと女子の世話を楽しもうとしていた。
……まだ目覚めてはいないが。
松寿丸は松寿丸で手習いや武術を一通りやり終えてからのもとに足しげく通っていた。
そして彼手ずから重湯を小匙で与えたり、反応はないが何か話しかけたりと甲斐甲斐しく世話をした。
そこで静かに眠り続ける彼女を見ては、毎回死んでいるのではないかとひやひやし、杉大方に大丈夫だと
なだめられる三日間を過ごしていた。そのくらいには静かに眠っていた。


「……またきたか……」


松寿丸が静かに戸を開くと、そこにあったのは一つの影だけではなかった。

彼女が静かに眠る布団の周りには、沢山の動物で溢れていた。
小さな雀などの小鳥は布団の上に止まり、犬や猫程の中型の獣は周りを囲むように座ったり寝転がったり
している。猫などは二、三匹は布団の中に潜り込んでるものもいる。驚いたことに鷹や鶴、鹿も集まってきており、
そのような大型の動物などは少し離れた場所に膝をついて座り、様子を見ている。
……ここは動物の見世物小屋か。

彼らは松寿丸が来ていることに気付いていたようで、戸を開いた時には鋭い視線が一心に松寿丸を突き刺
していた。
この三日間で既に慣れた松寿丸は、そんな視線など気にも留めずその動物たちの輪へと近づく。
今でこそ睨みつけられる程度で済んでいるものの、初日などは酷かった。その時の傷跡は今もかさぶたと
なって松寿丸の腕や足などに残っている。


「はやく、めをさませ……」


並よりもよほど白い頬に手を添える。慈しむようにそっと親指でさすれば、頬は柔らかく松寿丸の指を
押し返す。呼吸はゆっくりだが、穏やかに続いている。大丈夫。
そう考えてほっとした瞬間。

それまで昏々と眠り続けていた少女が突然、ぱちりと目を覚ました。


「ふ……っぐう!?」

「……だれ? ここはどこ? わたしになにをした?」


気が付けば松寿丸は畳に仰向けに転がされ、首を少女に押さえられて馬乗りになられていた。
一体今の一瞬に何があったのか全く分からなかったが、とにかく今は掴まれている首が苦しかった。


「あなたはだれ?」

「くふっ……ぐ、う」


徐々に絞められていく気道に視界が眩んでいく中、少女の目が金色に輝いているのが見えた。
まるで、ハ虫類。否、猫のような縦割れの瞳孔。今は興奮しているのか、瞳孔が丸く開き気味だ。
そろそろ頭に血が上ってきてくらくらと目眩がしてきた頃、みゃおみゃお、と猫の鳴く声が聞こえた。


「……。そうね」

「ぐっ……けほっけほっ、こほっ」


語りかけるように鳴いた猫の目をじっと見つめ、唐突に松寿丸の首から手を離し、体の上から退けた。
その後も猫が何か鳴くたびに耳を傾け相槌を打ち、まるで会話でもしているように頷くことを繰り返した。


「あなたが、わたしをたすけてくれた、ひと?」

「……われは、ひろったのみぞ」


自分はあくまで拾っただけで、今現在彼女を助けているのは紛れもなく杉大方だと考え、そう返した。
少女は先ほどとは異なる黒色の瞳で松寿丸の目を覗きこむ。良く見るとその瞳孔はやはり縦に割れていた。


「でも、たすけてくれた……ごめんなさい。かくにんもせずおそいかかるようなこと……」

「よい、きがどうてんしていたのであろう。きにせぬ」


特徴的な瞳を見開いた少女は、そのまま松寿丸を信じられないものを見る目でじっと見つめている。


「……なんぞ」

「ころさないの」

「は?」


何を言っているのか理解が追いつかなかった。
ころさないの。……殺さないの?


「なぜころすひつようがある。そのようなことより、」

「そ、そのようなこと……!?」

「そのようなことより、われはしょうじゅまる。そなた名はなんという?」

「……、ともうします」


何やら松寿丸の言葉に衝撃を受けたようだが、取り合わず続け名乗ると、はハッとしたように
松寿丸の顔を見、そして低く低頭して自らの名を名乗った。恐らく松寿丸の身分を理解したのだろう。
ということは、少なからず教養のある者……すなわち、ある程度の身分を持った者である可能性が高い。

。どこかで聞いた覚えがあるような、それも最近。確か、安芸国領地にあるどこかの家の者だったはずだ。
そう考えながら、同時に自分がはっきりと思い出せないのはきっとそれだけ小さな、あるいは地位の低い
家なのだろうとあたりをつけた。そして松寿丸のそれはあながち外れてもいなかった。

とにかく、ずっと眠り続けていたが意識を取り戻したのだから、他にやるべきことや言わなければ
ならないことが多くあったはずなのに、先ほどの一件のせいでその全ては吹き飛んでしまっていた。


「……その動物らはみな、そなたがかっておるのか」

「いいえ、そんなまさか。しょたいめんにございます」

「…………そうか」


なんとか場を持たそうと目の前にあった話題を持ちかけるも、すぐに打ち切られ空気が重かった。
ただ、少し考えれば分かるような話題を振った松寿丸にも非はあり、何故そんな話題を振ったのか、と
自分を殴り倒したくなった。

何より、自分が助けた自分よりも小さな命が目の前で回復し、同じ場にいて目を合わせているのに
身分を認識した途端にその存在にさえ平伏されてしまうことが、なぜかどうしても耐えられなかった。
家の中にいればただの役に立たない次男坊であるというのに、一歩外に出れば松寿丸の身には毛利家の
次男という枷がついて回るのだとまざまざと実感させられたのだ。……なんという皮肉だろうか。


「では、そなたをひろうてやったかりをかえさせてやる」

「え? ……いえ、はい」


何やら呆気にとられたような声を上げた後、我に返ったのか年に不相応なほどきりりとした声で返事を返す。
その様を見て、松寿丸は堪え切れなかった笑みを浮かべた。
……この少女は、一体どのような反応を返してくれるのだろうか。この少女だけは、今までの存在と一緒に
などさせるものか。この少女は、この少女だけは違う。自分が拾い、救い上げた命。


「われにせっするさいの、すべてのけいいをなくせ」

「はい。……はい?」

「よいな。われをうやまうな。たいとうにかいわせよ」

「……は? いえ、あの」

「われにひろわれたかりを、わすれるでないぞ」

「……!」


は傍目に見て可哀想なほどうろたえ、口を開けたり閉じたりを繰り返し、何かを言わねばと言う顔を
しているのに、先程の松寿丸の口にした制約のせいで何をどう言えばいいのか混乱し、結局は何も言えずに
いるようだった。
面白そうにそれを眺めながら、松寿丸はこれからのことを考え始めていた。
この少女なら、きっともう自分に接する際に平伏することもなく、自身を見て話すことができる。
このことは松寿丸にとってとても大きな喜びと言えるものであった。

であるので、このとき松寿丸の頭からは”が起きたことを杉大方に知らせる”と言うことがもう綺麗
さっぱりとすっぽ抜けていたのである。