あてもなく森を彷徨っていた。 傷ついた幼い体はとうに限界を超えていたし、傷ついていたのは体だけではなかった。 それでも少女は力の籠もった目をして、重たい体を引きずって這うように進んでいた。 どうして己がこのようなことになっているのか、それを理解するには少女は幼すぎたし、 何よりもまず自分が他人と違うということを理解していなかった。 同い年の子供なら、まだ乳母が付きっきりで世話を焼いていてもおかしくはない年頃。 少し前の少女にも、乳母が付いていた。 彼女は、安芸国家直系長姫であった。 彼女の家は安芸国にある小さな地方領主で、小さいながらも領地を支配し、 もちろん税となる年貢も納めさせていたごく普通の、ちょっとだけ裕福な家であった。 そんな家に生まれたのがだった。 彼女は生まれながらにして何か目立つような能力を持っていたわけでもなかったし、 至って普通に生まれてきた。そして至って普通に成長する中で、変化が顕著になってきていた。 両親にもそのまた両親にも見られなかった、雪のように白い肌。 それだけならまだしも、特に満月の夜になると赤く染まる、爬虫類のように縦に割れた瞳孔。 そして常に変わらずある、鋭く尖った犬歯。 それらの特徴から、彼女が吸血鬼であることが発覚したのだ。 これは彼女が悪いのでも両親が悪いのでもなく、遠い昔、 家が異種族交配なるものをしたせいなのであるが、そのようなことは当然調べられるはずもなく は呪われた子として神聖な厳島の社の奥にある森へと捨て置かれることになったのだ。 このとき家には既に嫡男が誕生しており、他にも男児が二人、姫が三人いたため、 を捨てることに迷いを持っていなかった。 「は、……もう、だめ……」 は知る由もないが、吸血鬼の中に流れる血はことごとく太陽に嫌われるものであったが、 彼女は原種の血を引いていたため、幸いにして太陽に嫌われて灰になることもなく、ぱたりと軽い音を立てて 倒れるだけにとどまった。 「われの、いばしょはどこにあるのだろうか」 松寿丸は城では吐かないような弱音をぽつりと零しながら、とぼとぼと視線を落したまま 足取りも重く、厳島の社を訪れていた。 常なら見張りとしてついてくるはずの供のものも、兄の不調で彼には目もくれなかった。 追ってくる者がいないということは、恐らくは、彼が城を抜け出していることにも気が付いていないのだろう。 「いな……きがついていて、しらぬふりをしているのやもな」 彼がもっと成長し、情緒やら諸々の感情制御が上手くなり得ていたのであれば、自嘲になっていたであろう呟きは、 幼いせいで苦々しげな心情を吐露するに留まった。 「もうこのまま、われはだれにしられることもなく、きえていくしかないのだろうか」 ぴたりと立ち止まり、落としていた視線をさらに落とし、眦に溜まっていた涙をさっさと落とそうと 目を細めたり、時には瞑ったりした。 音もなく落ち、そのまま抵抗することもなく足元の土に染み込んでいった涙を見ながら、 ふと、悟ったように消え入りそうな声で呟いた。 「もしかすると、それをのぞまれていたり、な」 言いながら滲んできた涙を鬱陶しそうに拭って、思ったより深くに来てしまったなと考えながら、 元来た道を引き返そうとしていた松寿丸の耳が、ぱたりと何かが倒れる音を拾った。 空耳かとも思ったが、辺りはしんと静まり返っていて他の物音は何一つせず、 聞き間違えることはなかろうと思い、音のした方へと目を向けた。 そちら側には濃い茂みがあり、ここからではその後ろに何があるのか 影も形も窺えなかったので、その後ろを覗き込むために茂みを迂回した。 本当ならそろそろ薄暗くなりつつある森の中、早々に城へ戻らなくてはならなかっただろうが、 先ほどの思考のせいかどうしても城の方へは足が進まず、帰ってもどうせ自分などいてもいなくても 同じなのだろう、と半ば自棄になった心中で帰りを延長し、好奇心に従うことにした。 「このようなところに、なぜ、」 そこにいたのは、先ほど力尽きて倒れたであった。 土だらけ、泥だらけ、そして傷だらけの状態でうつ伏せに倒れていた少女を発見してしまった 松寿丸は、驚きで数瞬の間何も考えられずにいた。 はっとして我に返り、まず生きているのかそうでないのか確かめようと恐る恐る近付いた。 しゃがみこんで彼女の体を仰向けにして、目を見張った。 元々の肌の白さに加え、青褪めた顔色にひどく動揺したのだ。 もう少し冷静に判断を下せるようになり、且つ知識を持っていたならば、少女の体が 死後硬直していないことで生死を見極められたものの。 未だ幼い彼にその判断は難しく、彼女のその顔色は松寿丸の死を目撃するという恐怖を掻き立てた。 もしかして、死んでしまっているのではないか? そう思い至った松寿丸が慌てて手を当てた頬も、手も、首筋も、全てが自分の体温よりも低かった。 その冷たさに衝撃を受けて、松寿丸は少女の首筋に手をあてたまま呆然と放心していた。 が、かすかにどくりと脈打つ喉元に気が付き、とりあえずは安堵のため息を漏らした。 しかし、一向に目覚める様子のない彼女に不安を覚えた彼は、その場を離れることができないでいた。 このまま自分が見捨てていけば、自分より幼いだろうこの少女は、きっと恐らく死んでしまう。 だからといって自分には彼女の状態をどうすることもできない。 散々迷ったすえ、彼は少女を抱えて城まで戻ることを選択した。 「……く、…………っと」 体格が良い方ではなく、さらに自分より幼いとはいえ年もそう変わらない子供を抱えたまま戻るというのは 思いのほか辛く、数度躓いて転倒しかけることとなった。 何度も苦しげな息を継ぎ、それでも彼は諦めて少女を捨て置くという選択をすることはなく、 来たときの数倍の時間をかけて城に帰還したのだった。 |