初夏の運ぶ





どきどきと、脈打つ鼓動がすぐ傍で聞こえる。 「はーい、じゃあ。入ってこーい」 名指されるままに新たな教室へと足を踏み入れた。 じめじめとした季節もとうに過ぎ、惜しげもなく太陽が光を振りまいている7月。 なんやかんやと親の都合というものでこの銀魂高校に転校してきた私は、季節外れの転校生というわけだ。 「え、と。です。……よろしくお願いします」 「あー……空いてる席ねーな。じゃ、まあ高杉の隣で」 つつがなく自己紹介を終え、先生もあそこの空いてる席な、と丁寧にも指さして教えてくれた。 私は何事もなくその言葉に従ってその席に着いた。 ……が、先生の言葉に周囲が一瞬にしてざわついた。 「銀八先生、いくら高杉君が学校に来ないからって、それじゃあさんが可哀想です」 何やらざわついていたクラスの代弁するように眼鏡の少年が挙手で意見した。 しかし、先生はいかにも面倒くさそうな顔でのたまった。 「いーんだよ、どーせあいつ学校なんて来やしねーんだ。隣の席が埋まったってわからねー……」 「それが教師の言うことかァ?」 ざわついていた教室は、今度は一瞬にしてぴたりと静まり返った。 「お、おお高杉! 久しぶりだな!」 「……」 取り繕うような銀八の挨拶を、当然のように通り過ぎる様子が様になっている。 引きつった表情の銀八に鋭い目をくれながら、悠然とこちら……つまり自分の席へと向かってくる。 そしてひたり、と私の目と彼の目がかちあった。 「そこはおめェの席じゃねェよ」 「え、」 それは、私に席に座るな、と。そういう意味なのか。 そう考えてわずかに身を固くした私を見て、にやりと笑った。 「おめェの席は、そっちだろ」 怪しげに笑んだまま、現在私の座る席の隣を指差した。 なるほど、私が間違えて彼の席に座ってしまっていたのか。 一先ずお前の席何かこのクラスの中にねェよ、的なことを言われずに良かった、と とりあえず一安心して、謝罪をした後、改めて自分の席についた。 その後授業が始まり、しばらくして肩をつつかれて振り向いた。 「おんし、スカートが捲れちょる」 視界にいっぱいの毛玉が喋った。 と思ったが、それは単に人の頭だったらしく、ニカッと豪快に笑う人がいた。 「あ、どうも。えっと……」 「わしゃ坂本辰馬じゃきー。おまんも不幸じゃったのー、高杉の隣になるなんてのー」 「……そういうことは本人のいねェとこで言え」 「アッハッハッハ!」 ささっとスカートをなおして座り、はっとした。私、教科書持っていない。 ないものはないので、しようもなく教科書を読む先生の声をぼうっとして聞いていると、 隣から消しゴムが飛んできた。間違いようもなく高杉君だ。 「ボーっとしてんじゃねェ」 「えー、教科書、ないし」 「……鈍くせェな」 「忘れたんじゃないよ、持ってないだけ」 忘れたのだと不名誉な勘違いをされるのが嫌だったので、訂正した。 すると直後に隣からまたしても何かが飛んできた。今度は教科書だ。 「……なに? 今はボーっとしてないけど」 「今からすることになんだろ。いらねェんなら返せ」 「え、」 「借りちょけ借りちょけ。どーせ高杉は授業なんぞ受けんからのー」 「そうなの……?(それでいいのかなあ……) じゃあ、ありがとう?」 後ろからの天の声の勧めもあり、教師も見て見ぬふりをしているし、いいか、と ありがたく、半ば投げやりにその教科書を借りることにした。教科書には折り目一つ付いていなかった。 その後も高杉から様々な教科の教科書を借りながら、なんとか午前中を乗り切った。 問題は午後だよな……、と考えながらお弁当を準備していると、女子が二人、机の前にやってきた。 「ちゃん、よね? お昼、一緒にどうかしら」 「え、と?」 「お弁当アルヨ! お弁当一緒に食べようヨ!」 妙と神楽と自己紹介してくれた二人の申し出をありがたく受けることにして、 いそいそと昼食を広げた。 母が手によりをかけたお弁当は、今日も色とりどりだ。 「そういえば、ねえ、大丈夫?」 「ふぁにが?」 「何がって、高杉君よ! 彼に何かされたりしていない?」 「そうアル! あいつ、何かヤバい匂いがぷんぷんするネ!」 「特に、何も? 教科書貸してもらっただけだし」 そう言うと、二人は綺麗な目をさらに大きく丸く見開いた。 「あなたって、勇気あるわね……。あの高杉君に頼み込むなんて……」 「お前、やるアルナ……!」 「え! 違うよ、ぼーっとしてたら貸してくれたんだよ!」 二人の話の中ではずいぶんと猛者な人物になりかけていたので、慌てて誤解を解いた。 弁明するもまだ少し疑っている様子の二人は、小さい声でそれぞれ呟いた。 「あいつ、絶対中に何か入れてたアル! カッターの刃とか破裂袋とか、入っているアルヨ!」 「貸してくれた、のねえ……。何なのかしら、案外世話好きとか……? いやいや……」 各々で悩んでいるようだったが、転校して間もない自分では、どの人物の人となりも全く分からない。 さらに、は口を出すという行為をとても面倒に感じる性質でもあったため、そこまで悩むことなのかなあ、 と思うに留め、終わってしまったのだった。 午後の授業も午前中とほぼ同様にやり過ごし、ありがとうの言葉と共に借りていた教科書を返そうと横を見ると、 そこにはあると思っていた姿が無かった。 どういうことだ。 いや、隣がいないのにも気づかなかった自分がどういうことだ。 どこに行ったのか皆目見当がつかないので、彼と一方的に親しげな彼なら、居場所を知っているだろうかと 期待を込めて振り向いた。 「高杉なら、屋上におるき」 振り向くと、待っていましたとばかりに笑顔な坂本が、聞いてもいないのに答えてくれた。 ありがたい、が。 「いや、うん。ありがとう。でも、一人になりたい人のとこ行くほどのことでもないし、借りた教科書なら 机の上に置き手紙と一緒に置いとけばいいかなって……」 「借りた恩も返さんっちゅーやつかのー?」 「借りた恩ってい言うか、まあ、そうだけど……」 「屋上じゃきー」 「……ハイ」 行くつもりなど毛頭なかったが、なんだか押し負けた風で見送られてしまえば、行かざるを得ない。 まあ、転校したてのよくわからない自分にものを貸してくれたという恩を返すと考えれば、そう苦ではない。 ぎいい、といかにも建てつけの悪い音と共に開けたドアの向こうには、 夏独特の青い空に、大きな入道雲が切り取られて見えた。 太陽に熱せられた熱い風が頬を撫ぜる感覚に、無意識に目を細めた。 「いないじゃん」 本人から聞いたわけではなかったのだから、不確かな情報だったとはいえ。 あれだけきっぱりと断定的に言ったのだからこちらも信用するわけで。 つまりは、はっきりと居場所を言ったにもかかわらずそれがガセであった坂本に対して文句を言っていたのだが。 「おめェ、何してる」 探していた人の声が突如として降ってきたのだから、驚いて視線を向けた。 視線の先は、屋上にある何かの制御室の上。 そりゃあ、そんなとこで寝そべってたのなら見つからないよ。 「あー、その、借りてた教科書を返しに」 「……」 若干言い出しにくかったが、その他に目的があるはずもないので、目的をそのまま告げると、 今度は彼がこちらを凝視したまま黙り込んでしまった。 「えっと、それだけなんだけど」 「……」 「どうかした?」 「……」 話しかけども話しかけども、返事は返ってこず。 これは何か。あれか、シカトって言うやつか! 頭の中で半分混乱しながらその場に立ち尽くしていると、ようやく彼も動き出した。 「それ、かせ」 「(貸せ? ていうかあなたのですけど)はい、どうぞ。ありがとうね」 私はそれだけ言うとそそくさと立ち去ろうとした。 「いや、少し待て」 しかし、それは彼の呼びとめる一言であえなく失敗に終わった。 何だろうか。教科書の中に落書きが無いかチェックしているのだろうか? しかしそれにしては何かを書き込んでいるようだ。 「おら」 そう言って投げ渡されたものは、先ほど私が彼に返したはずの教科書だった。 なんにしろ彼はものを投げ渡すのが好きらしい。 「え、いや、えっと。これはどういう……」 「そらァ、やるよ」 どうやら彼は自分の教科書を私に譲ってくれるらしかった。 しかしなぜ。備品ならあるだろうから、私の分はきちんと支給されるのに。 そう思いながら何気なく教科書をひっくり返して驚いた。そこには、借りたときにはなかった、 「高杉 晋介」という名前が黒いマーカーで書かれていた。 それも、たった今書かれたようで、つやつやと日の光に光っている。 人に譲ると言うなら、名前なんて書かないだろう、普通。 そう思いながら高杉を見ると。 朝に見た怪しい笑みを浮かべながらこちらを見ている彼がいて。 知らぬ間に頬が熱を持っていた。 初夏の運ぶ出会いは、爽やかに わしゃ、高杉の為を思ってじゃきー