「お腹すいたなあ」 呟いては見るものの、それで腹が膨れるわけでなし。 さすさすと慰めるように自らの腹を撫でてみても、同じことで。 空腹に人よりも尖った犬歯が疼く。久しく食事をしていないせいだ。昔はコントロールできなかった目の色も 成長して体の勝手が分かるようになった頃からは制御できるようになり、元の黒色を維持できてはいるが、 強い空腹によって強く人の血を求め、いつ色が変わってしまうかわかったものではない。 ――吸血鬼。私たちの存在を知った人々が、私たちのことを総称してそう呼んだ。 は確かに元は人であったはずだが、それも何だかあやふやになってしまっている。それだけ長い時間を生き ているのだ。 ふらりとよろめいた足取りに、思っていたよりも体が栄養を欲しがっていたのだと自覚した。きっと身体的に も精神的にも弱って来ているはずだ。満腹時ならば人を遥かに上回るほどの身体能力を持っているが、今なら 武術を嗜む人間になら誰にだってぶすっと刺されて負けてしまう気がする。 何でもいいから早く血を分けてもらおうと町の端を散策するも、なぜか動物一匹の姿も見えなかった。 おかしいなと思いながら歩いているうちに大体理由が分かった。異臭がするのだ。 すんすんと猫のように鼻をつんと上を向けて嗅ぎ、臭いの元をたどると大きな城壁と出会った。 「……明らかに、臭い」 城壁の向こうは近付けば近付くだけ鼻を刺すような、それでいてねっとりと絡み付くような刺激的な臭いを放 っている。決して嗅ぎたい臭いではない。これなら鼻の良い動物が一匹もいないことに合点がいく。自分だっ てこんな臭いのする建物に近寄りたくもなく、ましてやそんなところで食事などしたくもなかったのだが、こ の匂いをどうにかしなければ食事にありつくことはできないのだ。さらには城ならば中には人がいる。上手く すれば理解ある人から血を分け与えてもらえるかもしれない。 は少なくても半分は人ではない上、特に礼儀やその他諸々を気にする必要のある環境に置かれていなかっ たので、そう言ったものを気にする必要もなく。 彼女は何の迷いもなく城壁を乗り越えた。食事の為ならばどこからでも力が湧いて出るのだとわかった。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 「そこで何をしているんだい」 いつものように兵士を鍛え、秀吉と共に兵の訓練を眺めた後、自室に戻るために歩いていた時だ、変な少女を 見つけたのは。 一体どこから入り込んだのか、少女が先日壊れたと報告のあった焼却炉を何やらがさごそと漁っていた。 何を考えてそんな所を漁っているのか。コソ泥ならもっとマシな場所を漁るなり空き巣に入るなりしているは ずだ。……本当に何を持ってして焼却炉なんかを。そこには焼き後の消し炭のようなものくらいしかないだろ うに。 声をかける前からこちらに気付いていたのか、少女は焦ることもなくくるりと振り返り、なぜかキッと僕の方 を睨みつけてから叫んだ。 「いしゅうもろのへっきゃくっ!」(異臭元の滅却っ!) 若干涙目の彼女は、精一杯片手で鼻をつまみながら言ったので鼻声だった。 言うだけ言って僕の存在など気にせず、また作業に戻ろうとする彼女に近づいて肩を引いて止める。 「まず、君がどこから侵入したのか聞こうか」 「そこから」 すいっと彼女が指差したのは、高くそびえ立つ大阪城の城壁。他の城よりも高く造られているはずであり、事 実秀吉の身長よりも二倍は高い。 道具を使って頑張れば、忍であればなんとか乗り越えられる程度の高さだ。第一、少女にやすやすと乗り越え られてしまうような使えない城壁など大阪城にはない。 「……では、ここで何をしていたのかな?」 「だから、この匂いを消そうとしてたの! おちおち食事にもありつけない」 何やらぶつぶつと「何燃やしたらこんな臭いになるのかと思えば、燃やしてないし」だの、「ありえない、一 体どれだけの間放置してたの」だの呟いている彼女に、引っかかった言葉を聞き返す。 「食事……?」 「ん、ああそうそう。お腹すいてて……あ、そうだ。何事も受け入れられる度胸のある人なら良いんだけど。」 声は潜めるが、普通に聞こえるくらいの大きさでそう言ってから彼女は笑顔で僕の顔を正面から捉えた。 「あのですね、私、今とっても、お腹が……すい、て」 にっこりと笑んだ彼女の口から覗いたのは、鋭すぎる犬歯。 牙と言っても差し支えないほどのそれを見たとき、僕の体は脳が認識するよりも早く動いた。 振り切って下げた手に持っているのは、関節剣。対象が近かったのもあってただの剣の形をしているそれからは 鮮血が滴り落ちている。 僕が切り裂いた腹を押さえてうずくまり、こぷりと赤い血を吐き出す。その後にゆっくりと地に倒れ込む彼女は、 まだ何か言いたげだ。恐らくは、何故突然こんなことをするのか、といったことだろう。 何故突然。それは僕にもはっきりとは分からない。彼女を“認識したとき”体が勝手に腰に手を伸ばし、彼女を 凪いだ。これは認識の外だ。 こんなことをするのか。それは理解している。単純明快だ、驚くべきことだが彼女が僕にとって危険な存在であ ったから。これは認識の内だ。 「おなか、すいてた……のに……」 なんだその死に際。もっと他に言い残すこととかなかったのか。それは血を吐いてまで言うべきことなのか。 間抜けな言葉に、先程まで危機を感じていた自分が阿呆のようだ。ふっと体から力を抜いて、意外にも力んでい たことを知る。……こんな奴に。 剣を振って血糊を飛ばして鞘に戻すと、来た道を戻るために踵を返す。 今までは訓練場からこちらを通った方が自室に近いからとここを利用していたが、今度からは迂回しようと決め る。何だか臭いが移ってしまいそうなのだ。 片付けさせるために女中でも呼ぼうかと思ったが、ここは廃棄物の処理場。放っておいてもいずれ誰かに発見さ れ片付けられることだろう。臭いだってこの際気にしない。元から溜まっていた生ごみの臭いが酷いことになっ ているのだ、紛れて気付かれはしないだろう。 ふふっと口元に笑みを浮かべながら、ぽつりと零す。 「その言葉はもう聞いたよ」 |