初恋





良く晴れた、夏の日。

齢わずか十にしてほぼ放浪といってもいいような生活をしている少年がいた。
名を松寿丸。父を酒毒が原因でなくして間もなく家臣らに所領を横領され、城から追い出されしまった。
それでも彼を支えてくれる者もいたが、もっぱらが彼を”乞食若殿”と貶していた。
彼がそのようにして辛酸を舐めながらも耐え、心の奥に復讐の炎を燃やしているのは、当然と言えば当然の結果でもあった。



「このまま安芸に留まり続けるのは御身にもあまり良いとは言えませぬ。
まずは瀬戸海を渡り、機を見てまた帰還致しましょう」



そう言って励ましの言葉をくれた養母に従い、四国に向かったのが彼がちょうど十二の時であった。










「あと、どのくらい時間が経てば、我は安芸へ戻れるのであろうか」



松寿丸は平生よりも幾分か明るい声の調子で呟いた。
沿って歩いているが故に隣にある瀬戸海は何も言葉を返しはしない。
どんなに明るい声を出そうが、心の内はどのようにして舞い戻り、裏切った家臣をどのように裁こうか、ということのみが占めていた。
……否、彼らは別に謀反を起こしたわけではなかった。
松寿丸はあくまで次男という立場で、兄が当主なのだ。



「……っと。すまぬ、考え事をしていた」

「あ、いえ……」



余程思考にふけっていたのだろうか、人が目の前に来るまで気付けなかった。
ぼーっと突っ立ていた向こうも悪いのであろうが、気をつけていなかったこちらにも非があるため、一応謝ったものの。
相手ははっきりとしない、なんだか歯切れの悪い返事だけでこちらを見ようともしない。
特に興味はなかったから気にしてはいなかったのだが、珍しい銀色の髪に、背は高いもののひょろりと痩せた体躯、
白い肌、そしてこの軟弱そうな雰囲気から察するに相手は女子のようであった。
松寿丸は興味がないので相手がどうしようと一向に構わなかったのだが、相手が何をか言いたそうな様子で、しかしうじうじとためらい、
すぐにでも逃げ出したそうな顔で彼の顔を見ていた。



「(去りたいのならば、どこへなりと去ればよいものを)」



興味がないとはいえ、いたずらにこちらをちらちら伺われれば、流石にいい気はしない。
さらにつけ足せば松寿丸はこういった物事がはっきりしないことをあまり好む方ではない。



「姫若子さまー、こちらにいらしたんですかー」



いよいよいらついた松寿丸が去れ、と声をかけようとしたところへ、別の方から違う女子の声がした。
ぴくり、とその声に反応するように目の前の人物が動いた。



、そ、その名で呼ぶなといつも……!」

「だって、仕方ないじゃないですか。あなたがこのような格好をなさっているから」



本当に呆れた風に首をかしげるように少女が言う。



と呼ばれた少女は自分よりいくつか年下のようだったが、黒を基調にした布で幼い体を包み、高く結いあげた髪、
普段は顔を隠しているのであろう布を首までずりおろしたその姿はどうにも忍のようにしか見えなかった。
この幼さで起用されているのならば、かなりの腕を持っているということか。



「ほら、姫若子さま。この方に何か言いたいことがあるのなら、はっきりおっしゃらねばわかりません」

「……うう、えと、そ、の。えっと」



同じような言葉を数度繰り返した姫若子と呼ばれた女子は、
最後にひと際大きく呻いた後、波打ち際を躓きながら走り去って行った。



「えーと。ごめんなさい、あの子ちょっと内気なもんで」

「いや……(姫若子……。そういえばここは長曾我部領であったな。するとあれはうつけ者の長曾我部家の長男か)」



少女の謝罪などを聞き流しながら、今まで伝え聞いたことを鑑みながら情報をより合わせていく。



「(そうであればこの者はさしずめ姫若子付きの忍か)
謝罪はいいが、主を追わずにいいのか? それよりもまず忍が忍ばずにいていいのか」



声をかければは、へ? と素っ頓狂な声をあげた。
間抜けな忍もたものだ、と考えていると少し驚いたような表情で、真面目に返された。



「へえ。よくわかったね、私が忍だって」

「考えずともそのような格好をしていれば、誰にでも分かるわ」

「あ。そういえば」



確かにね、と笑う少女はとても無垢だ。それを見た松寿丸も何やらわからない感情が押し寄せていたが、
気付かずただ、このように抜けた忍もいるものか、などと考えていた。
はっとして気がつくと、周りは薄く朱が差し、夕暮れが近かった。
考えにふけっていた時間が長かったのか、はたまた今までの人とのやり取りが長かったのか。
とにかく養母のもとへ帰らねば、と踵を返しかけた松寿丸に、待って、と一言から声がかかった。



「あなた、一つ勘違いしているよ」

「何?」



勘違い、と言われた言葉に反応する。 これでも松寿丸は賢い方であるし、自分の理解がそれほど見当外れに違っているとは思っていなかったからだ。




「私は忍だけど、姫若子さまの部下じゃないんだよ。幼馴染なんだ。
だからあなたに仕えることもできるんだよ、松寿丸さま」

「どういう意味だ、なぜ、我の名を……」



名を言い当てられ狼狽する松寿丸とは裏腹に、してやったりと
笑むはふふ、と笑いをこぼしながら左胸のあたりを指差した。



「そのような格好をしていれば、私にだって誰だかぐらいわかります」



差された胸を見ると、家紋である一文字三星。しまったと思い彼女を見るも、
当の本人はもう一度ふふっと笑ってくるりと背を向けると、次の瞬間にはすでに彼女の姿はなかった。
まったくしてやられた。とても悔しい。どうにかして彼女に仕返しをしてやりたい。
先ほどまで心の中を占めていた重く暗い思考はどこぞへと吹き飛び、いつの間にかへの対抗心のようなものでいっぱいになっていた。
その心は、まるで冷たい鉄のようであった先ほどとは打って変わってほんの少しくすぐったく羽のように軽かった。


「あ奴を家臣に、か」



ぽつりと呟いてみると、実際にそうしたくなってきてしまった。
彼女が自分の忍になるのなら、それも悪くはない、と。



「では、機を逃さず安芸に戻らねばな」



先ほどと同じような考えに至ったが、持っている感情が全く正反対に異なっていた。
背にしていた瀬戸海を振り返れば、赤い輝きを反射して紺碧の水が深みを増しているように見えた。



「こんなにも、瀬戸海が綺麗だったとは。今まで興味もなかったな」



自嘲気味にだが、影のない声音で言葉を落とすと、自分もくすりと笑んで養母のもとへと帰途についた。


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あとがき

何これ楽しい。
連載にしたいんですが、どう思います?
需要がありませんか、そうですか。