「ほら、急げ。入学式早々遅刻するぞ」

「それはやだ! かすが後ろ乗っけてってえ!」

「しょうがない奴め」

「やった!」


新しい制服に、新しい鞄、新しい靴。新品に身を包んで気持ちも新たに登校しようとした。
が、寝坊したので無理だった。昨晩、作詞を張り切り過ぎたのがいけなかった。
中学生の時からの友人はそこのところをよく理解してくれていて、こういったときには毎回お世話になっていた。
そしてこれからもしっかりお世話になりそうである。


「お前は高校生になっても変わらないな」

「そりゃあね。”高校生”に肩書が変わる以外に成長と言える成長もないんだから、変わるわけがないよ」

「屁理屈だな」

「ありがと!」

「褒めていない」


溜め息をつきながらも前でペダルをこいでくれるかすがには感謝している。
実際、二人分の体重と荷物って相当なものだろう。
かすがの黒と金の装飾の自転車のサイドに足をかけて跨って立ちながら、今日の予定を頭の中で組み立てる。
入場して、名前呼ばれたら返事して、校歌斉唱になるまでは寝て、校歌を歌って、退場して。
そこまで考えて、かすがに声をかけた。


「ねえ、今日はちゃんと参加してってよね」

「わかっている」


流石に入学式だからな、と息も乱さずに言うかすがは、流石、首筋に汗一つかいていない。
そんな自転車の後ろは、爽やかな風が吹き抜けていつも心地いい。
もしこいでいるのが私だったら、こうも爽やかにはいかなかっただろう。私は体力はあっても持久力が無いのだ。


「違うよ、そのあと!」

「……仮にも自分たちの入学式だぞ……今日は式がメインなんだからな」









ばんど!
「おい、起きろ。校歌斉唱だぞ。お前の本領発揮の場だろう」 「……よしきた」 整列したパイプ椅子から眠たげに立ち上がる私を見て、かすがは「式で爆睡する奴があるか」と呆れている。 いるじゃんここに。良いんだよ、私は校歌を歌えればそれで満足なんだから。 在籍生徒の演奏するピアノが流れ始める。いつも聞いてきた滑らかで繊細な音とは程遠いそれに、瑠奈は目を細める。 そうか、そうだよな。これは三成の演奏じゃないのか。……三成の伴奏の方が良かったなあ。 と失礼なことを考えながら、声を出すために背筋を伸ばして腹に力を込める。 第一声がから発されると同時に、周囲からそれ以外の一切の音が消えた。 ピアノの伴奏でさえ、の歌声の前にはふっつりとその旋律を途切れさせてしまった。 生徒や先生が次々と振り返り、その歌声の主を探している中、一つの影が動いた。 「くっ……! そこどけ! あいつの伴奏者の座は、私のものだッ!」 一目散に体育館のステージまで移動した三成は、そこで今までピアノの演奏をしていた男子生徒を 般若の形相で引きずり降ろし、その腕でもって演奏を引き継いだ。 滑るように鍵盤の上を移動していく三成の指によって新たに生まれる旋律に、の声が乗る。 「(お、伴奏が変わったな。でもいつの間に三成があそこに……?)」 「あいつはまた、式中に無茶を……」 何度目かのかすがの呆れた声が歌っている私の耳にも届いた。 「みんないる?」 「ああ」 かすがの返事に、それじゃあ行くよ! と勢いの良い掛け声とともに体育館表の玄関前に特設された 野外ステージの上を中心まで走っていく。距離にして、約4メートル。駆けて行ったは、ちなみに一人だ。 「あいつ、入学早々聞かせてくれるじゃねえか。流石、coolだったぜ」 「相変わらず良い声をしておった。手入れは欠いておらぬようであったな」 「毛利殿の言う通りでござる! 殿、ますます声に透明感が出ているようでござった!」 「おっ、旦那良いこと言うねえ」 「当り前だ。あいつは声を磨くことにだけは余念がないんだ。謙信先生もお認めになるほどの声はそうはいない」 「ほー。そういや石田の野郎もよくやるよなァ。中学ン時にも増してにべったりだったじゃねェか」 「……ッ! 貴様ッ、長曾我部! その口を閉じろ、さもなくば斬滅する!」 「はーいはいはい、そこまで! ほら、ちゃんも向こうから呼んでるんだしさ、行ってあげようよ」 言われてみれば、歓声で騒がしくなていた会場から、彼女の他のメンバーを呼ぶ声がしている。 「なーんか、気が付いたらみんないかったんでー、呼びましょー!」 どうやら、今やっと一人で突っ走ってきたことに気が付いたらしい。 それまで気が付かずにトークで場を繋いでいたのだから、恐ろしきかな。 ステージの真ん中から「みんな何してんのー? 早くー!」と催促する声が飛んできたので、 皆各々の楽器を携え、順に定位置についた。それは中学生の時からの定位置である。 「今日は入学式ってことでフルメンバーです! ではではまず紹介から!」 ヴォーカルを担当するがマイクを持って進行も担当する。 当初、マイクを握りたがったのは伊達であったが、彼は言葉に所々英語を挟んでくるため聞き取りづらく、 周りの反対にあってベースの位置へと落ち着いたという過去があったりする。 しかし時々じっと、の持つマイクを見つめているときがあるので完全に諦めたわけではない様子。 「ベース担当伊達政宗ー! ベースは主役ではないんだって言うことをわかってほしいー!」 「Ha! ふざけた紹介してんじゃねえ! 俺のbase以外に何が主役張れるってんだ!」 「声でしょ!」 それまで不敵な笑みを見せながら観客にサービスしていた伊達も、紹介の内容にはつっこんだ。変な方向に。 「次、ギター担当真田幸村ー! 甘い物好きには悪い奴はいないよねー!」 「もちろんでござる!」 「今度一緒にケーキ屋さん行こうよ」 「是非!」 「ドラム担当長曾加部元親ー! いつにも増して噛みそうな名前です。いい加減改名しろ!」 「誰がするか!」 「あんたが!」 「するか!」 「バイオリン担当毛利元就―! 彼の眼鏡は伊達に見えて伊達じゃないよ!」 「まともな紹介をしろ」 「元就もケーキ屋さん行こうよ」 「……ふん」 「ピアノ担当石田三成ー! 態度も表情も触れると切れそうだけど、前髪だって触れれば突き刺せそうな勢いです!」 「刺せるものか!」 「三成もケーキ屋さんに行こう!」 「……行ってやらんことも、ない」 「ツンデレだった!」 「……斬滅してやるッ!」 「サックス担当かすがー! 金髪綺麗だよね、スタイル抜群だよね!」 「一体何の話をしている」 「私の親友です!」 「まあな」 「アルトサックス担当猿飛佐助ー! 何でアルトサックスを選んだのかさっぱり不明なおかん! 料理はどれも美味しいよ!」 「ちゃんが俺様をどう見てるのかよくわかったよ。そして一体何を紹介したいの?」 「最後、ヴォーカル担当です! 実はバックダンサーになりたかった!」 「やめておけ。怪我をするだけだ」 随分と適当な(というかほとんど楽器のことに触れていない)紹介を終え、かすがの制止も入り、どっと盛り上がった観客と どっと呆れたメンバーに囲まれながら、今日の曲目をつらつらと並べる彼女はやはり大物だ。 紹介中で既に三人をケーキ屋行きへと誘っているのだ。もう流石としか言いようがない。 メンバーはメンバーで彼女の自由なノリには既に慣れているので、特に咎めも文句もなく準備を始めた。 「さあ、おめでたいね入学式! 初ライブは入学祝いでいきまーす!」 「我らの入学式なのだがな」 はあ、という元就の溜め息を合図に元親が動き出す。 腹に響くような低いドラム音に、混じる規則的な高いシンバル。 それらを皮切りに、政宗と幸村のギターが入ってくる。 二人はギターを弾きながら器用に競い合っている。表情があくどい感じになっている政宗、なんだかたくましい 感じになっている幸村は、実に楽しげでなによりだ。……ドラムが無かったらもう音楽として成立しないだろう。 しばらくの後、かすがと佐助の吹奏コンビも加わる。 相変わらず人垣を縫って吹く風のように速いかすがのサックスに、佐助は対抗しようとしているのか アルトサックスを頑張りながら前宙を繰り出してみたりと随分アクロバティックな演奏だ。 なかなか元就が入ってこないなと思ってふと後ろを見れば、彼もこちらを見ていて目が合った瞬間に軽く頷く。 合図を送るために待っていたらしい彼の気高いヴァイオリンと共に、私も高音のスキャットを薄く挟む。 ハミングでも良いと思ったが、ベースとギターの二人に負けて消えるのでスキャットにした。 そして最後に、三成のピアノが音楽に溶け込み、私の声を支える。 滑らかで情緒的。まさしく彼そのものの演奏が、他の楽器などどうでもいいというかのように本当に私だけを支えてくれる。 長い前奏の後、やっと私は自分の声に歌詞を乗せることができた。 歌詞に心を乗せる。というよりも歌詞に感情移入してしまうため、おそらく顔が大変なことになっているだろうが、 私の歌を歌えるのなら今はそれは些末な事でしかなかった。 手に持ったマイクが、私自身の高音声に負けて震える。 歌の内容は新しく未来へと踏み出す、というようなもので、今日のこの入学式にぴったりだ。 桜が風で散って舞う中、高校最初のバンド部の活動は大盛況だった。